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喋り過ぎのWebディレクター、喋らない誘拐犯、喋らせる刑事、の話

喋り過ぎのWebディレクターが喋らない誘拐犯を喋らせる刑事の動画を見た所感

Webディレクターとしての反省文から始めます。

僕には、喋り過ぎる癖があります。

クライアントよりも先にペラペラと、頭でっかちなWebのセオリーみたいのを押し付けて、クライアントからの提案力を萎縮させてしまいます。発言の自由を奪われたクライアントは、切羽詰まるまで本音を言おうとしません。

自分が喋るのに精一杯で、クライアントが漏らす些細な言葉に気付かないこともあります。そこに、クライアントの大きな欲が隠されている場合も多く、こういうヒアリング時の不手際が、制作終盤における突然の方向転換を招くのですね。

クライアントを口ベタにさせるのも、制作後半での(え、今さら?と言いたくなる)ちゃぶ台返しの責任も、多くの場合、未熟なWebディレクターの方にあります。もっと、相手の本音を上手に聞き出す術を身につけないといけませんね。

音楽誌を読んでいると、寡黙なアーティストが、まるで別人と思えるほど積極的にインタビューに応じていることがありますね。インタビュアーの質問の仕方が気持ちよくて、アーティストは饒舌になります。アーティストが喋りたくなる雰囲気作りも上手いのでしょう。

警察の取り調べも、取調官によって全く結果が異なります。被疑者から自供を得ることを「落とし」といいます。被疑者の気持ちにヌルリと滑り込んで、口を割らせる「落とし」が巧い警察官が過去にいました。

平塚八兵衛 あの三億円事件の捜査主任です。

刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史 (新潮文庫)

最後に退職するまで、彼が手がけた事件は殺人だけでも124件、「戦後最大の誘拐事件」と言われた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の犯人、小原保を落とした刑事です。

刑事と犯人は普通、敵対しますよね。犯人は自分を捕まえた刑事を恨み、刑事は罪を犯した犯人を許しません。ところが、二人の関係は特別でした。

小原は逮捕された後、死刑が確定します。死刑執行の直前に「今度生まれるときは真人間になって生まれてきます。どうか、平塚さんに伝えてください」と言い残します。

平塚は退職後に小原の墓参りに向かいます。小原は、その罪のせいで先祖代々の墓に入れてもらえず、小さく盛られた土の下に葬られていました。それを見て平塚は大きく泣き崩れました。

この二人の関係を築いたのは、取り調べ室でのやり取りです。その最中の様子を、渡辺謙(刑事:平塚)と萩原聖人(犯人:小原)が演じている動画を見つけました。

もちろん、ドラマとして演出はされていますが、二人の演技が抜群で、言葉の緩急を巧みに使い分け、些細な一言も漏らさず核心へと迫る平塚の「落としの技」のスゴさがリアルに伝わってきます。

吉展ちゃん誘拐殺人事件とは?

事件後の国民的関心を伝える新聞

早速、動画をといきたいところですが、一応の経緯を追ってから見た方が、緊迫した現場の様子がより伝わると思います。

「吉展ちゃん誘拐殺人事件」が、戦後最大の誘拐事件と言われたのはこのような理由からです。

犯人が身代金を奪うのに成功した。
事件を解明するまで2年3か月もかかった。
日本で初めて報道協定が結ばれた。報道協定は、犯人に情報を与えると人質の安全に危険がおよび、また、事件解決を遅らせてしまうので、事件の内容を一切報道しないようにマスコミに求めること。
犯人の声をメディアに公開した。当時はかなり珍しく国民の関心が注がれた。

事件が発生したのは、昭和38年、3/31です。当時4歳の村越吉展ちゃんが行方不明になりました。

その二日後の4/1に犯人から身代金を要求する電話が入り、誘拐事件として本格的に捜査が始まります。しかし、当時はまだ営利目的の誘拐が少なく、警察に誘拐事件を解決するためのノウハウがありませんでした。そのため、具体的には以下のような不手際を原因に、捜査は犯人逮捕までなんと2年以上も費やすことになります。

人質は事件発生後すぐに殺害されていたが、警察はそれを知らなかった。
身代金の紙幣のナンバーを控えなかった。
犯人からの電話について逆探知をしていなかった。
当初、誤った犯人像を推定し捜査を誘導していた。

捜査から2年が過ぎたころ、捜査線上に小原保という男が浮かびます。身代金を要求する電話の声に似ていたから、犯行当時のアリバイに不明点が多かったからという理由です。

それで取り調べが行われることになりますが、小原は、その頃、別の窃盗容疑で前橋刑務所に収容されていました。別件で逮捕されている者への取り調べは人権侵害であるという人権保護団体の圧力によって、聴取は10日間だけに制限されます。10日間で口を割らせなければ、小原の逮捕は失敗します。

許された10日間、取り調べを担当するのは平塚です。

ポイントは、事件発生前後の小原のアリバイです。小原がどこで何をしていたのか、アリバイの矛盾を崩すことができれば、事件は一気に解決へと結びつけられます。

アリバイを崩すために平塚は迫りますが、小原は粘りに粘り口を割らずに、10日間は過ぎてしまいます。無念にも取り調べは終了、最後に小一時間ほどの雑談だけが許されました。

1965年7月3日のことでした。48年前の昨日ですね。雑談に小原が呼び出されます。平塚が小原と言葉を交わせる最後の日です。

さて、結果はいかに?

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余談と本日の出典
ここまで平塚八兵衛を持ち上げておいてなんですが、刑事としての彼は意外に賛否両論で、数件の冤罪事件(の可能性があるものも含めて)に関わっています。詳しくはWikipediaやその他ネットを検索しても情報がでてきます。色々と興味深い人です。
平塚八兵衛 – Wikipedia吉展ちゃん誘拐殺人事件 – Wikipedia

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